旅の記録① 城崎温泉編
大学に入学してから1年と半年が経ってしまった。受験から解放された嬉しさから、大学に入学してからというもの、各地へと旅をしたのだが、つい写真を撮りたくなるクセのせいで、カメラロールの写真が2万枚を超えてしまった。これではいけないと思い、記憶メモリの外注も兼ねて、今までの旅をブログにまとめることにした。
今回は第一弾。城崎温泉編である。
城崎へ
国立大の受験を翌々日に控えた2023年3月8日、私の足は城崎に向いていた。

まずは特急はしだて3号に乗って福知山へ向かった。ちなみに、この時購入したのは、天橋立ぐるりんパスである。確か1万2千円くらいで購入でき、JR線の往復特急券と観光施設の入場券、全但バスなどが乗り放題になるというお得なきっぷである。福知山からは、(写真がないのでうろ覚えだが)特急きのさきに乗り、八鹿駅へ向かった。

八鹿駅からバスに乗り、出石に向かった。巡った場所は、出石城、明治館、家老屋敷である。この3つは、おおよそ普通の観光地で、特筆すべき出来事は特になかった。その後、せっかく出石に来たのだから出石そばを食べて帰ろうということになり、「出石そば 桂」さんにお邪魔して出石そばを食べた。めっちゃ美味しかった。
その後、バスで出石から宿へ向かったのだが、アクセスが悪いことこの上なかった。泊まった宿は「シルク温泉やまびこ」という名前で、温泉付き、朝食付きで確か5000円ほどであった。宿に関してなんら文句はなく、むしろ大満足であったのだが、我々は車を持っていなかったため、バスで温泉に向かう必要があった。そこでお世話になったのが「enacar」である。もちろん、読みは「イナカー」である。田舎とcarを掛け合わせた、Twitterのオタクも大横転の安易な名前である。このバスは平日に6本、土曜日に1本しか運行していない。このバスの最終便に乗って、宿最寄の正法寺駅へと向かった。バスの乗客は我々のみで、運転手と世間話をしながら目的地へと向かった。ちなみに、翌日宿から出ると、朝風呂に入りに来た運転手と鉢合わせたのである。なんともアツい再会であった。

温泉と朝食を堪能し、翌日城崎駅へと向かう。城崎駅へ向かう人なら誰もが撮るであろう写真を撮影し、足湯巡りを開始した。温泉に入ると時間がかかるからという理由で、温泉には入らなかった。そもそも平日で空いている温泉が無かったのもあるのだが。城崎文学館に向かい、文豪の名残を感じたあとは、城崎マリンワールドへ向かった。城崎マリンワールドでは、水族館内の生簀で釣ったアジをその場でフライにしてくれるという謎のコーナーがあり、非常に面白かった。もちろん、釣ったアジをその場でアジフライにして食べたのだが、水族館の中で魚を食べるという体験は初めてだったので、心なしか普段より美味しく感じた。
城崎マリンワールドを出た後は、城崎駅に戻り、海鮮を食べて特急きのさきに乗り帰京した。
大学の合格発表を翌日に控えながら、、、
ショーシャンクの空に
ショーシャンクの空に、という映画の名前を何度か聞いたことがあったし、脱獄の話だというのもぼんやりと知っていたのだけれど、生まれてから20年間、実際に見たことはなかった。
よく行くバーにこの作品が置いてあったのがきっかけで、じゃあ見てみようかな、という気が起こった。ちょうど免許合宿中で暇だったし、軽い気持ちで見始めた。
ストーリーも面白く、どんどん観進められた。ラストシーンになって大号泣。久しぶりに、「悲しい」とか「悔しい」とかではなく、「感動」して涙が出た。あまりにも良かったので、爆速でブログを立ち上げ、今こうやって文章を書いている。
見終わってからいろんな人のレビューを見た。どうやら「希望を捨てないことの大切さ」を表している映画だと捉えている人が少なからずいるようだった。
私はこの映画を観て「希望を捨てないことの大切さ」を説いているとは微塵も思わなかったので驚いた。むしろ「希望がどれだけ脆いか」そして「人間の内面がどれだけ尊いか」を知らしめる映画だと感じ取った。
仮釈放された図書館のお爺さんが首を吊って死ぬシーン、高卒試験に受かったヤツが射殺されてあえなく死ぬシーン、所長に裏切られたデュフレーンが懲罰房に二ヶ月もぶち込まれるシーンなど、どれも各人が多少なりとは抱いていたであろう「希望」を打ち砕くものである。しかし、デュフレーンはその頭の良さと粘り強さで「希望」という悪魔の一歩先を行ったのだ。
希望は、抱くだけでは叶わない。それどころか、希望が叶わなかった時の落胆はものすごい。アウシュビッツの囚人たちが「クリスマスには解放されるらしい」という噂に希望を見出して過ごした結果、クリスマスを過ぎても解放されなかった彼らの落胆はものすごいもので、みんな希望を失って亡くなっていった、という有名な話もある。
しかし、漫然とした希望を抱くのではなく、自分の行動に基づいた希望を抱くなら、それは強固なものになるということを、この映画は私に教えてくれた。
粘り強く手紙を送り続けると、本のために予算が割かれた。毎日壁を掘り続けたことが脱獄につながった。勉強の結果、高卒試験に合格した。
このどれもが、粘り強い努力に裏付けられた「希望」が叶ったシーンである。
「あれが起きるかも」「ああなるといいな」ただこう願うだけでは、それが叶わなかった時の失望はすごいものだ。しかし、「OOをした」という事実があれば、希望が叶う確率も高くなるし、叶わなかったとしても何か得られるものはある。それを携えて次の希望を見つけて進めばいい。
デュフレーンは、「行動」することを忘れ、結果「希望」を抱くことさえできなくなった囚人たちにとって特異に映っただろう。しかも、彼一人の影響で、レッドをはじめ周りの囚人たちも「希望」を抱き始めるようになった。
この結果がラストシーンであった。アンディを探し求めるレッドのワクワクした気持ち。希望を失った人間ならアンディを探すのを諦めるかもしれないし、石の下だって探しに行かなかっただろう。ただ希望を抱いているだけじゃ人生は楽しくない。仮釈放中に国を脱出する、なんてことをなしとげてはじめて、本当の「希望」を感じれるようになるんだというようなメッセージを感じ取れた。
人間の内面は他人に干渉されない。面従腹背で生きたって構わないんだよなあ
最後に、
アンディって頭が良すぎるなあ。。。